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「夏の終わり」と同じ年、高校2年の秋の話。
私の高校は、1960年代は革命で有名だった。
赤軍、革マルの戦士を多く輩出した。
日米安保にあわせて、若き戦士たちは命をかけて日本を変えようとしていた。
時は流れて、私たちの高校時代はまったくのノンポリで、
日々のんきに過ごしていた。
そして、私の高校は進学校ということもあって、高校2年の秋に修学旅行を行う。
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そのころ、私はクラスの男子の中でかなり中心人物だった。
私は修学旅行の初日の夜、とある部屋にクラスの男子全員を集めた。
30人以上の男子ばかりがぎゅうぎゅう詰めになったむせかえるような部屋で、
クラスのマドンナを決めようとしたのだった。
私は、夏の合宿の暗い思い出のせいで、本当はさほど好きな女性などいなかった。
しかし、クラス全員で、こっそりマドンナを決めるというイベントは、
楽しかった。
その気持ちは、ぎゅうぎゅう詰めに集まった男たちの目の輝きで、
クラス男子全員の総意だったと今でも信じている。
だって、片岡だって、にこにこにやにやしてたのだから。
片岡が誰でもいいじゃない?
とにかく、あの片岡がにやにやしてたほど、その部屋は熱気にあふれていたんだよ。
マドンナを決める方法は、男子がクラスの女子をマドンナに推薦しあって、
最後にマドンナ候補に投票して、マドンナ・オブ・2年4組を決めるのだ。
候補は、3人だった。
そのうちの一人の推薦人は私だった。
彼女の名前は、和田ゆかり。
バレーボール部で、非常に肌が赤い子だった。
話し方は非常にゆっくりで、どちらかというと”とろい”感じがした。
授業中はいつも寝ていて、真っ赤な顔の寝顔をクラスの誰もが見ていた。
その寝顔と、その話し方が、なんとなくエロくて、
男子高校生には、刺激が強いものだった。
私は彼女を推薦した。
強調したのは、そのエロさと、肌の赤さだった。
「俺は彼女のエロさには完敗だ。
彼女の赤い肌にふれてみたい奴は、
俺と一緒に赤軍にならないか!」
このプレゼンテーションは、大成功だった。
30人を超える男子のうち、28人が彼女をマドンナとして手を上げた。
そして、私は、28名の赤軍のリーダーとなった。
さらに、赤軍の理由はけっして人に言ってはいけないという鉄の掟も、その場でできた。
その結果、修学旅行の2日目から、私は「リーダー」と呼ばれた。
そして、いつしか赤軍のリーダーであると、クラスの女子にも、他のクラスにも、
先生たちにも知られるようになってしまった。
しかし、その本当の理由は、だれも鉄の掟のせいで広まらなかった。
当然、革命家を輩出した、私の高校で「赤軍」という名前は失敗だった。
私は修学旅行から1週間後、職員室に呼び出され、5人の先生から詰問された。
「君は赤軍のリーダーか?」 「はい」
「アジトはあるのか」 「いいえ」
「日本赤軍とつながっているのか」「いいえ」
「君が赤軍をたちあげたのか」 「はい」
「日本赤軍との違いはなんだ?」 「言えません」
「おまえ、それがいいことだと思ってるのか?」「思っていません」
「解散しろ」 「・・・・・」
「お前たちの主張はなんだ?」 「いえません」
「メンバーを言え」 「いえません」
いまさら、和田ゆかりの肌に触れたい男たちの集団なんていえないよ。
鉄の掟を作った私が、掟を破れないよ。
私は、親に連絡されても口を割らなかった。
先生たちに監視されても言えなかった。
先生たちは、最後は1週間毎日私の帰宅時に尾行していた。
それでも、私は口を割らなかった。
それが、さらに赤軍の凄みを生み出した。
そして、私は立派な革命家となってしまった。