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私は、自分の容姿を棚にあげ、収納壁にしまいこみ、私には醜い容姿など無縁であるかのようにふるまい、 
女性の美醜にこだわる。 
不細工は大嫌いだ。 
不細工は、みんなイスラム教に改宗し、ベールをかぶって生きてほしい。 
不細工は顔面凶器だ。 
だから、美人にしか、興味がない。 
そこには、えこひいきがあってもいい。 
民主党が美人手当を出すというなら、賛成もする。 
もともと、美人なんて絶滅危惧種なんだから、保護しなければならない。 
当然、彼女になってもらいたいと願うのは、美人だ。 
息をのむような美しさで、呼吸困難になってもかなわない。 
そんな美女に出会えたら、毎日酸素ボトルを携帯して、 
スーハーしながらデートすることもいとわない。 
しかし、ここで問題がある。 
確実に老いはやってくる。 
じゃ、おばさんになった元・美人を愛さなくなるのか? 
自分の容姿を棚に上げているわけですから、 
たぶん、おばさんになった元・美人を愛さなくなると思われるだろうね。
ところがね、これが違うんですよ。 
私のそばで、安心しきって歳を重ねてくれたと思えれば、 
歳をとっても、太っても、私に愛されなくなることなんかないと、 
私を信じきってくれれば、 
彼女を愛し続ける自信があります。 
だって、後世に伝えたい遺伝子をもった女性であることは十分に理解している。 
そして、40,50になってもきれいであろうと努力しつづけることを、 
私は素敵に思えない。 
この人の人生の価値観は、40,50になっても、そんなことなんだって逆に悲しくなる。 
ふくよかに太り、幸せそうな笑顔で、上品に歳をとった女性も美しいと思う。 
それは、形の美しさではなく、ライフスタイルの美しさ。 
今後は、私のそばで美しい人生をめざしてくれればいい。 
あぁ、この人は、だれかに愛されてきたんだなぁ(大事にされてきたんだなぁ)って、 
わかるような年の取り方をしてくれればいい。 
それは、なんの努力もいらない。 
ただ、私のそばで、幸せにすごしてくれればいいだけ。 
私は女性に対して優しさ50%、厳しさ50%で接してきたと以前書いたように、 
はっきりと太ってきたり、美しくなくなったことは、私が教えてあげる。 
お世辞じゃなく、本当に彼女だけを見つめている私だから、事実を伝えてあげる。 
なぜなら、彼女自身も若くして美しくありたいと願っているなら、それを助けるのは私の役目だから。 
かといって、太ったから、歳をとったからって、愛がさめたりはしない。 
それを望んではいないけれど、 
私のそばで幸せなんだなって、彼女を見て思えることは私の幸せでもあるから。