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いつでも死ねる。

私の家は、私が病気をしだすまで裕福だった。
そして、私の家には、いつも若い男たちが10人ほど寝泊りしていた。

彼らは、時にやさしく、時に冷たかった。

私が一番最初に覚えた言葉は「あっち、行け」だったらしい。
彼らに赤ん坊だった私は、何度となく言われていたのだろう。

そんな彼らも、私にたくさんのおもちゃを買ってくれた。
おそらく、私の親への媚だったのだろうが、
その量は半端な量ではなかった。

壁一面に棚が5段ほど作られていて、
その棚1段ごとに一斗缶が7−8個ずつ並んでいて、
その缶のなかにおもちゃが無造作につめこまれていた。

しかし、それだけ山のようにおもちゃがあっても、
気にいったおもちゃというのは4、5個だった。

ところが、そのおもちゃが、幼い私には、
どの棚のどの缶のなかに入っているかは知らなかった。
だから、私は、私の家にいる若い男たちに頼んで棚を片っ端からとってもらっては、
床におもちゃをぶちまけてもらった。

その結果、床はおもちゃだらけになった。
しかし、若い男たちは、あとかたづけをしてくれるわけではなかった。

その結果、私の親は、そのおもちゃの山が嫌いだった。
いつも、後片付けをしなければ行けないのに半時間ほどかかるからだ。
いつも、いつも、私は怒られていた。
後片付けもできないのに、おもちゃを出すな!と。
当時の私には、好きなおもちゃだけを集めて、
特別な缶に入れておいてほしいという口もなかった。

そんな日が続いたある日、私の親は、すべてのおもちゃを捨てた。
そして、おもちゃ用の棚も取り外された。

若い男たちにも、2度とおもちゃを買ってくるなという、命令が出た。
当然、子供の私に、おもちゃを買ってくれることもなくなった。

そんな私は、小学生にあがるまえに親の怒りをかうことを2度としなくなった。

私は小学生になるころには、子供らしさを失っていた。


だから、親が私をしかり、押入れに閉じこめたときも、泣かなかった。
もう、涙が出ない子供になっていた。

「おまえなんか、2度とここをご飯を食べさせない。
 さっさと、家をでていきなさい」としかられたときも、
その場で、だまって席を立った。

高校のとき、ぐれたせいで、親が私の胸に包丁をつきたてて、
「おまえなんか、生かしておいたら世の中のためにならん。
 お前を殺して、私も死ぬ」といわれたときも、
「親なら、苦しまないように殺してくれ。」といって、
 目を閉じた。

いつも、助けてほしい、許してほしいなどといったことはない。
すぐに、諦めがついた。

そう、私はいつのまにか、生きることに執着しない男になっていた。
それは、今でもそうだ。

いつでも死ねる。
死ぬことなんか怖くない。

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