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人間って大人になると、妥協という行動をとってしまう傾向にある。
小さいときは正しいことを大きな声でいえばいいと思ってた。
でも、大人になると、なぜか人の悪事を暴けなくなってくる。
いわゆる、妥協というやつである。
すごく親しい人間や上司が、JRでキセル(無賃乗車)をしたとしよう。
しかし、「そんなこと、よくないよ!」っていいますか?
普通、大人は見てみぬ振りをする。
どこに行ったのか、正義感。
人間関係がこじれること、会社であとで仕事がしにくくなることを恐れて、
何もいわないという妥協をする。
また、それほどすきでもない女性が言い寄ってきた。
ぜんぜんもてない人生の男は、結局いままで好みでもなかったのに、
付き合ってしまう。
生活に苦しくて、近くのスーパーに時間給900円でパートに出ている主婦。
子供も成長し、このごろ「おかん」なんて呼び方をしてくる。
夫も、いつごろからか、夜の営みも手抜きになり、最近は一切お誘いもない。
家族の誰も、女性としてあつかってくれない。
しかし、スーパーの店長だけは、彼女を女性として扱ってくれる。
「○○さん、お綺麗ですね。40歳に見えないですよ。」なんて、歯の浮くような
お世辞も言ってくれる。
好みじゃないけど、女性として扱ってくれる店長が、いい男に見えてくる。
この人だったら、私を幸せにしてくれるんじゃないかと勘違いしてくる。
妥協の恋である。
なぜ、妥協するようになってしまうのだろう。
妥協って、自分が困りたくないとか、コレを逃したらもう自分には何も残っていないとか、
という恐怖感からするものじゃないだろうか?
その恐怖に打ち勝ち、耐える能力があれば妥協しないのじゃないかな?
つまり、欲望を抑えることができない人間がするんだよ。
子供のうちは、その恐怖がみえないだけで、
大人になるとその恐怖が経験や視野が広がったことや、
自信をなくしたことでで判ってくるようになる。
だから、大人になると妥協してしまう。
つまり、妥協するのは、くれくれ人間だからなんだろう。
最初から、うしなうことを恐れなかったら、妥協なんかしない。
くれくれ! えさをくれ! 家畜だよね。
豚だよね。
私は妥協するくらいなら、失うことを選びたい。
それが命でも。