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いろいろな意見が、畜犬談の記事に寄せられた。
1) 突然、なぜ、このブログに、この記事が登場する理由はナンですか?
2) よく意味がわからないのですが、、、、
3) 結局、この短編小説は何が言いたいのですか?
非常に難解であったようなので、少しだけ解説します。
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まず、この短編小説は、何が言いたいのでしょうか?
では、短編小説が書かれた時期はいつなのでしょうか?
→犬を殺すことに失敗して、このまま犬を飼い続けることを決めたあとに、
この小説は書かれた設定です。
下等で野蛮な犬という生物をしぶしぶ飼うことになった顛末を書いている設定です。
つまり、言い訳なんです。
飼いたくないのに、飼わなければいけないんだよという言い訳です。
じゃ、誰に言い訳してるのでしょうか?
→殺してほしかったのは誰ですか? そう、妻です。
だから、これは妻にあてた、犬を飼い続けることの言い訳なんです。
皮膚病をわずらっている犬を嫌がっている妻に、
死ななかったのだから、飼うのは仕方ないじゃないかと説得しているのです。
でも、死なないのなら捨ててくればいいことですよね。
なぜ、捨てないのでしょうか?
→つまり、飼いたいと素直にいえないのです。
ということは、飼いたいのだから、最初から殺そうなどという気持ちはありません。
嫌がっている妻に納得してもらうためには、殺そうとすることが必要だっただけです。
捨ててくることは、すぐにできてしまうことなので、殺そうとしたが失敗したという
事実が必要なのです。
→おそらく、肉に毒は混ぜていません。
太宰は、殺すつもりなどないどころか、もともと飼うつもりだったのだから、、、。
これを、理解するためには、好きといえない屈折した太宰の文章を読み解く日本語力が必要です。
日本人は、日本語に自信を持っていることが多いですが、日本語能力には人によって
差があります。
私は、この短編小説から、
(1)日本語能力は人によって差があることを理解してほしいと思いました。
そして、自分の日本語能力は、もしかして低いのではないかと謙虚に考えてほしいという
意図でした。
(2)日本語能力が十分にあれば、太宰が犬を一言も好きだといわなくても、
犬のことが好きであることがわかります。
”愛”というカテゴリーのなかで、愛があれば愛は伝わる。愛があるということは、
どういう行動につながるかを説明してきました。
だからこそ、この文章の中から、好きとは一切いわない愛の形を感じ取ってほしいと
思っていました。